こんにちは。
こころのそえぎ(福本早穂)です。
こころのそえぎ(福本早穂)です。
今日は珍しく、ちょっと硬い話です。
これを見ると、
不登校を「問題行動」とみなさない。
支援においては、「学校復帰のみ」を目指さない
ことが明記されています。
「やっと文科省がわかってくれたかな」
と思いつつ、
少し前の学校復帰をめざした
「早期発見/早期解決」を思うと
方針の急転換に少し驚いています。
少し前の学校復帰をめざした
「早期発見/早期解決」を思うと
方針の急転換に少し驚いています。
現場の先生方や支援の方々も
とまどっていらっしゃるかもしれません。
ただ、これまで見聞きしてきた
子どもたちの苦しみを思うと、
学校が「絶対に行かなければならないところ」
ではなくなる意味は大きいと思います。
子どもたちの苦しみを思うと、
学校が「絶対に行かなければならないところ」
ではなくなる意味は大きいと思います。
完全に行けなくなって、
一番苦しい時期には、
(行かなければならないところだから)
行きたい。 でも、 行けない。
行きたい。 でも、 行けない。
という葛藤状態で心身が引き裂かれていますから、
「(今は)行けなくてもいいんだ」
と思えると、
後の回復がより順調に経過すると思います。
と思えると、
後の回復がより順調に経過すると思います。
この通知によって、
毎年繰り返される
夏休み最後の日
毎年繰り返される
夏休み最後の日
子どもが自ら命を絶つ哀しい事件が
なくなりますようにと願っています。
<不登校は、選択?>
しばしば、
子どもが不登校を「選択した」
と言われることがありますが、
本人の自由意思によって「選択した」
という例には、出会ったことはありません。
子どもが不登校を「選択した」
と言われることがありますが、
本人の自由意思によって「選択した」
という例には、出会ったことはありません。
一言では表せないさまざまな要因があって、
子どもが学校に行く力を失っていき、
なんらかのきっかけがあって、
最後の力がつきてしまった。
という状態が実態に合っています。
当然ですが、
子どもはまだ十分に
自立できてませんから、
子どもはまだ十分に
自立できてませんから、
その後の支援や対応によって、
不登校の経験が個人の成長に寄与するか
ぎゃくに
長期に社会生活から遠ざかってしまうか
不登校の経験が個人の成長に寄与するか
ぎゃくに
長期に社会生活から遠ざかってしまうか
が分かれると思います。
「本人が選択した」という認識ですと、
その後の人生も
本人に責任があり、本人の選択したことに
なってしまう危うさがあります。
<家庭、親への支援が重要>
今回の報告でも指摘されてますが、
「家庭への支援」
(「家庭への適切な支援」と言ってほしい)
が早期に届くと、
子どもたちの回復が順調に進んでいきます。
(「家庭への適切な支援」と言ってほしい)
が早期に届くと、
子どもたちの回復が順調に進んでいきます。
家庭への支援とともに、
子どもたちが自分らしく生きていけるように、
自立していくための「学力の保障」が
今後、どのように施策に盛り込まれていくのか、
注目したいと思っています。
自立していくための「学力の保障」が
今後、どのように施策に盛り込まれていくのか、
注目したいと思っています。
<学校現場での支援>
先生方の多忙、長時間労働が
問題になって久しいですが、
文科省の「通知」が、現場で活かされるには、
学校に、人的、時間的余裕がないと
できないとも思うのです。
問題になって久しいですが、
文科省の「通知」が、現場で活かされるには、
学校に、人的、時間的余裕がないと
できないとも思うのです。
生徒対応に一生懸命かかっているとき、
我が子が調子を崩していても
十分かかわってやれず、
不登校になったという
先生もいらっしゃると聞きます。
先生もいらっしゃると聞きます。
今回の報告結果によって、
学校が、先生にとっても生徒にとっても
追い詰められない
余裕のある居場所になりますように
と願っています。
と願っています。
不登校の子どもを理解するために
「不登校ひきこもり相談室<こころのそえぎ>に
ご相談ください。
<参考図書>
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