こんにちは。
こころのそえぎ(福本早穂)です。
入学後、
部活と勉強を両立しようと
がんばっていたH君でしたが、
とうとう不登校になってしまいます。
がんばっていたH君でしたが、
とうとう不登校になってしまいます。
<新しい人間関係>
家にいることが当たり前になってきたH君は、
あい変らず、ゲーム、ネットをしていましたが、
その中で、顔はみえないけれど、
親しい人ができたようでした。
H君は、ゲームの中の出会いや、
ネットから今まで知らなかった
さまざまな情報に触れていました。
お母さんは、心配しましたが
晩ご飯がおわると、待ち兼ねたように
H君がしゃべってくるので、
パートで疲れていてもできるだけ、
努めて聞くようにしていました。
そうすることで、
H君が今どんな出会いをしていて、
どんな情報が彼に届いているのか
知ることができたからです。
こちらも御覧ください。
あるとき、
不登校やひきこもりに対する誹謗中傷を、
サイトの中で目にすることがあり、
おしゃべりなH君が数日しゃべってこない
ことがありました。
おしゃべりなH君が数日しゃべってこない
ことがありました。
様子がおかしいと気づいたお母さんが、
「なにかあったの?」
とH君から聞き出して、
そこからお互いの思いがわかった
ということもありました。
いつの間にか、H君は
ゲームを作成するサイトに出会い、
そこでチームに入って、
一緒につくることも経験していました。
ゲームを作成するサイトに出会い、
そこでチームに入って、
一緒につくることも経験していました。
仮想世界で
社会人や大学生らしき人たちとも
交流があったようで、
そんな人とのやりとりを
お母さんに話してくれるのでした。
H君は、サッカーや学校の友だちから離れましたが、
ゲームの中で、新しく
人間関係ができはじめていました。
<元の学校に戻ることを諦める>
そうこうしているうちに、
欠席日数が重なり、
10月ごろには
留年が決まってしまいました。
欠席日数が重なり、
10月ごろには
留年が決まってしまいました。
元の学校への復帰を諦めたからでしょうか、
それまで、ほとんど一人で家を出ることがなかったH君ですが、
外に買い物に行ったりし始めました。
いつもは昼夜逆転しているH君が
一緒にゲームをつくる人たちのオフ会に参加するため、
午前6時に起きて出かけていき、
お母さんをびっくりさせたこともあります。
<通信制高校に入学を決めるまで>
家でしばらくすごしている間に
H君も両親も
通信制高校への転学を考えていました。
H君も両親も
通信制高校への転学を考えていました。
H君はお母さんといっしょに
通信制高校の説明会に行きましたが、
なんとなくまだ行ける気がしないのと、
ここに行きたいと思う高校に出会ってない感じがして、
決められませんでした。
通信制高校の説明会に行きましたが、
なんとなくまだ行ける気がしないのと、
ここに行きたいと思う高校に出会ってない感じがして、
決められませんでした。
見学に行った学校では、
「早く入学を決めないと3年間で卒業できませんよ」
と言われるので、
お母さんは、とにかくどこか行ける高校に
決めてほしいと思っていました。
「早く入学を決めないと3年間で卒業できませんよ」
と言われるので、
お母さんは、とにかくどこか行ける高校に
決めてほしいと思っていました。
でも、
H君が決めかねている間に、
締め切りの日が過ぎて行き、
年を越すことになりました。
2月ごろから、また春入学の募集が始まり、
H君も、春から行けそうな気がしていました。
H君も、春から行けそうな気がしていました。
ある通信制高校で、フットサルのサークルがあるのを知り、
見学に行きました。
見学に行きました。
丁寧に説明してくれる先生が
不登校の生徒に理解がある感じだったので、
H君は「ここならやっていけそう」
と思って入学を決めました。
「通学する生活に慣れるまで、
週2,3日でも来れる日に来たらいいよ。
毎日行かなくちゃと思うと、しんどくなるからね」
と先生がアドバイスしてくださったので、
自分の調子をみながら、
徐々に慣れていくことができました。
徐々に慣れていくことができました。
今では、親しい友だちもでき、
「学校が休みの日まで行きたいと言ってます」
とお母さんはうれしそうです。
(H君の話は、複数の相談例を総合したものです。)
<やり直しできると知ってほしい>
がんばって志望校に合格でき、
胸膨らませて入った高校に行けなくなると、
なんとかして学校復帰したいと
子ども達は涙ぐましい努力をしています。
胸膨らませて入った高校に行けなくなると、
なんとかして学校復帰したいと
子ども達は涙ぐましい努力をしています。
そうして、
疲れ果ててしまったころ、
出席日数の非情な現実が
留年という形で現れます。
疲れ果ててしまったころ、
出席日数の非情な現実が
留年という形で現れます。
まだ様々な情報を知らない15,6歳の子どもにとって、
最後通牒をつきつけられたような
ショックだと思います。
親も学校とのやりとりに一喜一憂し、
目の前の子どもをなんとかして
目の前の子どもをなんとかして
学校に行けるようにしてやりたいという思いでいっぱいで、
視野を広げることができないでいます。
視野を広げることができないでいます。
そういうとき、
高校の不登校を経験した後、
色々な進路選択をして成長した人たちのことを
知っていくと、
少し冷静に、子どもの人生を俯瞰することができます。
高校の不登校を経験した後、
色々な進路選択をして成長した人たちのことを
知っていくと、
少し冷静に、子どもの人生を俯瞰することができます。
親の会、相談機関でそんな先輩たちの話を
聴いてください。
聴いてください。
こころのそえぎにも、どうぞお越しください。
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少し余裕をもって
子どもを見ることができます。
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<参考図書>
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