2018/10/04

不登校のとき支えられた経験が活きる

こんにちは。
こころのそえぎ(福本早穂)です。


今日は、中学時代の不登校を経て
対人援助職についたYさんの話をします。


Yさんは、県内でも有数の中高一貫の進学校に中学受験し、
入学しました。


小学校や塾でも、その地域では、
だれもが知っている有名校でしたので、
Yさんの両親はもちろん、
祖父母もたいへん喜んでくれました。



塾での受験勉強は、たいへんでしたが、
Yさんは自分の成績が徐々に上がっていくのが
スポーツの記録を伸ばしていく感じがして
おもしろく感じていました。


そして、あの中学にさえ入れば、
今ほど勉強に追い立てられることなく、
毎日をたのしく過ごせるのだと
なんとなく夢見ていました。



でも、入ってみると
たちまちその予想は裏切られました。








<緊張と疲れる毎日>



Yさんは小学校のころ、足が速くて
いつもリレーの選手に選ばれていたので、
中学では、陸上部を部活に選びました。


部活の練習はきびしく、
先輩後輩の上下関係もはっきりしていて、
先輩たちと
いつどこで出会うか分からないので、
廊下を歩くにも緊張しました。


さらに、課題が思った以上に多く、
Yさんは、
毎日よる8時ごろ帰ってから、
晩ご飯を食べてお風呂に入り、
課題を済ませると、
いつも12時を過ぎていました。



身体の疲れもあったのか、
ある日部活の練習をしているとき、
足をひどく捻挫してしまいました。

しばらく部活は見学になりましたが、
ほかの部員の練習をみているあいだ、
校庭の隅は、蚊が多くて
襲ってくる蚊との戦いでした。


一方、授業はどんどん進んでいき、
毎日山のような課題に取り組んでいましたが、
身体の疲れとともに
課題のやり残しも増えてきていました。


捻挫はよくなったと思って、練習に入ると
また痛くなるということを、
何度かくりかえしているうちに、
Yさんは、何のためにこんなことをしているのか
分からなくなってきました。



毎日がむなしく過ぎていく気がして、
だれにともなく、
追い付かなければならない
という焦りの気持ちが出てきました。


<行き渋りから不登校へ>
朝も、起きにくくなり、
身支度に時間がかかって、
いつも家を出る時間に
出られないことが増えてきました。


それでも遅刻するのはいやなので、
お母さんに車で送ってもらいました。
どうしても間に合わない日は
休みました。


お母さんは、何度も声をかけても
なかなか起きられないYさんを
抱き起こし、
はらはらしながら時計を見る毎日でした。


お母さんも、夜寝るときに、
明日の朝が来なければいいのにと
思うほど
緊迫した日々を送っていました。

そんなふうになっても
学校に行こうと
がんばっていたYさんでしたが、
欠席する日が増えてきて、
とうとう
「私、学校に行く意味がわからない」
と泣いてお母さんに訴えました。


お母さんは、
こんなに毎日親子でバトルしていて
この子の心は大丈夫なんだろうか?
と心配していたところでしたので、


「休んでいいよ。ゆっくりしようよ。」
とYさんの背中をさすりながら
お母さん自身もほっとしていました。



しかし、
学校を休むようになったYさんでしたが、
夜寝られなくなったり、
急に怒り出すなど、
気持ちは不安定で、
ゆっくり休めない感じだったので、
母さんは思春期外来に連れて行きました。

<カウンセリングとの出会い>
ドクターは、
「病気ではないね。
学校生活に疲れ切ってしまったんだね。
薬よりカウンセリングを
受けてみませんか?」
とカウンセリングを勧めてくださいました。

病院内のカウンセラーを紹介され、
Yさんは、らくになれるならと
カウンセリングを始めることにしました。



カウンセラーは、
Yさんが家にいるときに、
気持ちが混乱したり、いらいらしたら
言葉にならなくてもいいので
ノートに書きなぐってくるように
言ってくれました。
それをカウンセリングの時に、
カウンセラーが見てくれて、
Yさんの話を聴いてくれました。



カウンセリングを続けているうちに、
Yさんは自分の心の状態が
客観的に見えるようになってきました。
そして、
今まで言葉にならなかった思いも
文章にできるようになってきました。


また、
自分の頭の中のイメージを変えたりして、
気持ちのコントロールができるようにも
なってきました。


Yさんは
落ち着いて家に居られるようになると、
今までできなかったことを
してみたくなりました。


絵を描いたり、ゆっくり読書をしたり、
刺繍をしたり
吉本の動画をみて笑ったり…


そんなYさんを
お母さんもお父さんも
なにも言わず、見守ってくれていました。
そして、
Yさんの好きな作品展に
連れて行ってくれたり、
家族で小旅行に行ったりしていました。


「あの時、両親がなにも言わず、
ゆっくり休ませてくれて、
好きなことを好きなだけさせてくれたことが、
良かった。
なにも言われなかったから、
自分の心に向き合うことができたし、
これからのことを考えられた」
とYさんは言います。


その後、Yさんは内部進学はしないで、
小規模の通信制高校に進学しました。


<自分の経験を活かして>
高校卒業後は
自分と同じように
しんどくなった子どもに
不登校の経験を活かしてかかわりたいと
思うようになり、
大学は心理学専攻を選びました。


今は、臨床心理士として
毎日、子どもとかかわる仕事をしています。


不登校のころ身に着けた
心のメンテナンスの方法は
社会人になった今も
役立っているそうです。


両親をはじめ
多くの人にサポートしてもらった
そのかかわり方がモデルとなって
今の仕事にも
きっと活かしていると思います。


Yさんは、
不登校の経験をふりかえって、
「もし、不登校にならなかったら
将来の目的を持てず、
なんとなく入れる大学に入って、
なんとなくどこかに就職してたかもしれないし、
就職できなかったら、
フリーターになってたかもしれない。」
と言います。


<主体的に生きる>
私も、多くの不登校経験者との出会いから
不登校は、
学校や周囲に合わせて生きている子どもが、
合わせられなくなったときから、
主体的な
自分の生き方を見つけるプロセス
なのではないかと、
思うようになりました。


一言で言うと、簡単ですが、
そこには
長い苦悩や試行錯誤の道のりがあります。


その道程を
子どもが一人でがんばるのではなく、
伴走する親が子どもを見守り、
その親を支える人たちがいて、
成就することなんですね。


なので、どうか親御さんには
ご自分の身近に
相談できる相手先を見つけていただきたいと思います。



不登校引きこもり相談室
「こころのそえぎ」(福本)も
その一つに加えてください。


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