2018/09/17

不登校の子どもと試験・その2

こんにちは。
こころのそえぎ(福本早穂)です。

前回、私の受験の経験から
「不登校の子どもと試験」について
書いています。

引き続き、不登校の子どもと試験に関連した話題を
書いてみたいと思います。

学校に行けなくなると、
たちまち授業についていけなくなったり、
課題が提出できなかったりして、
目に見えて、学力の遅れがわかるので、
本人も親も
どうしようもなく不安で、
焦燥感にかられると思います。






私の友人は、教員だったので、
子どもが不登校になったとき、
3日も休めばどのくらい遅れるか
具体的にわかるので、
つらかったと言います。

その彼女が、
子どもさんが成長して
社会に出て働きだしたころ、
「今となれば、そんなことどうでもよかったんだよね」
と笑って言うのです。

私もわが子の不登校を経験して、
さらに、今までに出会ってきた
不登校経験者の若者を見ていると、
学力は、本人のエネルギーの充電とともに
本人が必要と思う程度に付いてくる
と感じています。

取り戻すというより、
エネルギーが貯まると、
なにかしたいという意欲が出てきます。

やりたいことのためには、
高校を卒業しなくてはならない。
あるいは
大学にいかないといけない。

そんな高尚な目標でなくても、
好きなことするために、
同年代で、同じ趣味をもつ仲間が必要。

となると、
学校に行くのが手っ取り早い。
という動機づけも多いと思います。

そんなこと、こんなことの
意欲が高まって、
子どもは動き出します。


<そぎ落とされる子どもの才能>
今の学校では、
殆どの場合、試験のための勉強です。
試験でいい点とるための勉強は、
いつか、エネルギーが枯渇してしまう
ように思います。

できるだけ速く正答を出さないといけない
勉強を長く続けていると、
子どもたちが本来持っている、
一人一人違う
才能や資質、特性が
そぎ落とされる気がします。

そこには、
均質化した能力が求められているように思います。

自分自身が長い受験生活を経験して、
その間に、
やりたかったこと、行きたかったところ、
会いたかった人
など、抑制する生活が長引くと、
生きる意欲が萎えてくる感じなんですよね。

目的を自覚していた大人の私でさえ、
そういう傾向があるのに、
自発的な目的もなく
試験勉強に追われる子どもたちは、
これからの長い人生、
生きる意欲をどうやって保ち続けていくんだろうと
心配になってきます。

誤解しないでいただきたいのですが、
試験が悪いと言っているわけではありません。

時にはそれが必要なことは承知しています。
でも、今の教育の現状は
行き過ぎではないかと思うのです。

1998年に子どもの権利委員会から
日本政府に対して
以下のような是正勧告が出されていることからも
言えると思います。

「22. 本委員会は、(中略)
極度に(highly)競争的な教育制度によるストレスのため、
子どもが発達上の障害(developmental disorder)にさらされていること、
および、教育制度が極度に競争的である結果、
余暇、スポーツ活動および休息が欠如していることを懸念する。
本委員会は、さらに、不登校の数が膨大(Significant)であることを
懸念する。」

<せっかく不登校になったのだから>
学校を軸に子どもの人生を考える
のではなくて、
子どもの自身が、
どんな経験をして、
どんな人との出会いをしているのか。

なにを考えているのか。

どんな物事のとらえ方をしているのか。

今、何にはまっていて、
どんなところに魅力を感じているのか。

子ども自身の内面に興味をもって、
温かい観察力で見ていってください。
(イケズな目ではだめですよ。(笑))

ほかと比べていては見えない
子どもの実像がみえてきて、
いとおしくなると思います。

そんなふうに子どもの日々の
ちょっとした成長を一緒に見守るには、
第三者からの視点も大切です。

毎日見ている親は気づかないことを
親の会ではだれかが言ってくれたりします。

同じ目線で話せる親の会
「親子支援ネットワーク♪あんだんて♪」
にもお越しください。
個別相談は
不登校ひきこもり相談
「こころのそえぎ」(福本)も
お待ちしています。HPはこちら


<参考図書>
不登校の子どもを家庭でどう見守るか?
色々な事例が見れます。

0 件のコメント:

コメントを投稿